人生とは即ち勉強である

みなさんは、勉強はしていますか?大学を卒業し、就職までしてしまえば、もうなかなかする機会はなくなるかもしれません。しかし、人間が80年生きるとすると、人生の1/4は勉強に費やされていたことがわかります。日本は、教育基本法によって教育、即ち勉強をすることに関して様々な規定を設けています。まずは、憲法に定められた国民の「三大義務」の一つに「教育を受けさせる義務」が入っていることからも、いかに教育が重要に扱われているのか、窺い知る事ができるでしょう。納税と勤労と並ぶ「教育」、果たしてそこにはどのような理由があるのでしょうか。納税は国家の運営に必要な資金を集めるために欠かすことのできない要素であるのはわかります。勤労は納税をするためにも、また日本という国を発展させ、より良くしていくためにも必要であるのがわかります。それでは教育にはどのような価値があるのか?一重に、次代を担う力を養うことにあると言って良いでしょう。次の世代を担っていくのは、間違いなく今の子供であり、この子供を教育することはひいては国家の繁栄につながっていくことは明白です。そのため、日本に於いて教育は重視されているのです。それでは、より詳しく考えてみましょう。まず、日本には義務教育という期間があります。これは前述の憲法において「受けさせること」が義務となっている期間で小学校・中学校の合わせて9年間がこの義務教育期間となります。勘違いしないでいただきたいのは、「教育を受ける義務」ではなく「受けさせる義務」であるという点です。これはあくまでも、「親」に課せられた義務であり、義務教育の義務とは親の義務のことです。子供にとっては「教育を受ける権利」であり、受けないという選択肢も子供自身は持っていることになります。しかしながら、子供が受けないと選択したのなら、それは受けさせる義務には反していることになりますから、親の義務は遂行されません。お子さんと話し合い、しっかりと教育を受けさせましょう。受けないことを攻めるのは、即ち己の無能を晒すようなものです。さて、それではこの義務教育において、主に主眼に置かれているのは何なのか?それは、生活と学業の両面になります。特に小学校六年間においては、前者の生活に対する指導が非常に重要になってきます。「三つ子の魂百まで」という言葉もあるように、一生に関わる人格や社会的常識は、ごく幼い子供の内に形成されるためです。そのため、この小学校次代にきちんとした指導を受けていなければ、将来的に非常に困ることになってしまうため、小学校のあいだにできるだけ模範的な習慣を身につけさせ、社会的常識を植えつけ、社会のルールを守れる子供の基盤を作ることがもとめられます。学業の方についても、小学校六年間の内容は基本的に「基礎」になります。教養的にも生活的にも、生きてく上で最低限必要である知識が主に取り扱われますし、その後の中学校、高等学校の学業へ繋がるベースともなりますから、ここで躓くとその後長きにわたって躓き続けることも考えられます。小学校レベルの勉強であれば、親御さんでも十分見てあげることができますから、できるだけこの段階では躓くことのないように、是非二人三脚で勉強を続けてください。特に小学校の教育は、学校と家庭両方の面から支えていくことが求められます。全てを学校に押し付けることでは、健全な子供は育ちません。そして小学校の六年間を終え、次には三年間の中学校が待っています。中学校も義務教育ですから、生活指導と学業両方に重点が置かれますが、小学校に比べて基本的なルールについてはすでに習得しているとみなされ、より学業に比重が置かれていくことになります。子供たちが、勉強に対して本格的に躓きを感じ始めるのも、恐らくこの中学校になってからでしょう。小学校の六年間は、基本的にどんな授業であっても担任が受け持ち、それぞれの学級によって進度や授業形態などにも差異があったものですが、この中学校からは「教科担任」という制度に変わり、国語なら国語の先生、数学なら数学の先生が授業を担当することになり、小学校時代よりもより専門的な勉強へと変わっていきます。段々と、日常で使うような教養や基礎的勉強から、「学問」としての勉強へと近づいていくのがこの時期で、そういった性質の差に対応し切れない子供が落ちこぼれてしまうということも考えられます。小学校に比べると難しいですが、是非ある程度は親御さんも協力し、共に落ちこぼれることのないように努力したい時期です。この頃になるとちらほらと反抗期に入るお子さんもいらっしゃるとは思いますが、根気強く接していくことが重要です。そうして義務教育が終われば、ついに次は高等学校となります。中学校が終われば、義務教育は終了です。ここ以降は、受けさせる義務を有しない、個人の意思によって選択される進路となります。今はあまり多くはありませんが、中学校卒業時点で就職を目指すという子もゼロではないことでしょう。しかし、ほとんどの子供たちは高等学校への進学を目指すことになります。それというのも、現在の日本は学歴社会と言われる学歴偏重主義で、いかに個人が高い能力を持っていたとしても、学歴を有していないと相手にされないという場合が多いためです。このほど高等学校の無償化もあり、これに拍車がかかりました。これには賛否両論ありますが……貧富の差が是正されることそれ自体は悪いことではないでしょうか。さて、この高等学校は、まず大きく2つに分ける事ができます。まず一つは「普通高校」です。これはその名の通り、今までの小学校や中学校と同じように、全般的な学習を広く浅くやっていく高校で、多くの高校はこの普通高校になります。そしてもう一つは、「専門科高校」です。例えば工業高校や商業高校など、決まった分野についてより詳しく勉強していく学校になります。こちらを選択する場合には、中学校を卒業した時点でかなり具体的に自分の将来の進路を見据えている必要がありますので、なかなかその選択に踏み切る事のできる子供は多くはなく、普通高校に比べるとその数はグンと低くなっています。専門科高校であれば、勉強される内容は義務教育までの基礎的なものからかなり実地的なものに近づくことになります。専門職につくために必要となる知識や技術が、重点的に教えられます。そして普通科高校であるなら、その授業内容はついに「学問」の扉を一歩くぐる事となるでしょう。特に数学や理科、物理などの理系科目の勉強は、専門職につかない場合には生活にとって全く何の役にも立たなくなります。少し考えてみてください。あなたは生活や仕事を営む上で、二次関数やベクトル、斜方投射や加速度、化学反応式やモル数計算などを、必要としたことがあったでしょうか?学問というのは即ち、「学ぶこと」それ自体が目的となるものを言います。実用的であるかどうかは、そこに大きな影響を与えません。より深く学び、より知識を深めていくことが、この学問の目標となります。学問というと、一万円札にも描かれている福沢諭吉の著である『学問のすゝめ』が非常に有名です。恐らく、内容については詳しく知らずとも、「天は人の上に人を造らず、人の下に人を造らず」というフレーズだけはよく知っているという方が多いでしょう。なんとも平等であることを書いた素晴らしい書なんだな、という理解をしていらっしゃる方もいるかもしれませんが、実はまったくもってそうではありません。このフレーズだけを取り上げれば、福沢諭吉の言いたかったことは何一つ伝わっていないのです。もともとの論旨はこうです。「天は人の上に人を造らず人の下に人を造らず。しかしながら、世の中には上下があるのは何故か。上に立つ条件は、即ち学問を納めていることである」お分かりいただけたことでしょう。「平等であるはずの人間に上下があるのは、学問をしているかどうかだ」と福沢先生はおっしゃっていたのです。そのため「学問のススメ」である、ということがお分かりいただけたでしょうか。つまるところ、学問を修めることはすなわち人間としての価値を向上させるものであるということがいえるのではないでしょうか。高等学校での勉強は、こうした学問へと段々変わっていきます。そうして、勉強が本格的に「学問」になるのは、大学にはいってからです。大学は完全に自由意志による進路であるため、国から助成もされませんし、小中高のように生活指導に主眼を於いてもいません。大学に入るからには、すでに社会的なルールは修めているというのが完全に前提になっているため、取り扱われるのは「学問」一本になります。そんな大学で学ばれる学問には、非常に多くの種類があります。大抵の場合、一つの大学ではそのうち1つや2つについて詳しく取り扱って教えていくことになります。そこでこのサイトでは、そういった学問について、果たしてどういった種類のものがあり、それぞれどういった勉強をしていくことになるのかを紹介したいと思います。今回扱うのは数ある学問の中でも「人文科学」と「社会科学」という2つの部門についてですから、文系の大学への進学を考えていらっしゃる方、また考えているお子さんのいらっしゃる方はその参考としていただければ幸いです。また、学問の仕組みやその成立に至るまでについても、多少扱っていきたいと考えていますので、そちらは教養として、一つ押さえておくために使っていただければと思います。

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